プロフィール
鹿児島県枕崎市にある「なぎ食堂」の3人兄弟の長男として生まれました。中学生の頃から放課後や休みの日には調理場に入って手伝いをし、小学校の高学年頃には、忙しい両親に替わり弟や妹の晩御飯は自分が担当していました。「兄ちゃんのご飯はおいしいね」と言ってもらったのが、私の原点です。
辻調理師専門学校を卒業後、京都の老舗料亭にて修行を重ねました。その後、ホテルや割烹料理店で総料理長などを務め、腕を振るいました。目の前の美味しい料理をお客様に提供することに追われる日々。充実しているはずなのに、「本当に自分がすべきことは何なのだろうか」と、なにかふつふつと心に湧くものがあったのも事実です。
そんな時に、母が脳梗塞で倒れ帰郷。看病の甲斐あってなんとか元気になりましたが、そこに何か意味があるような気がして、そのまま鹿児島に残ることにしたのです。
それから自分の人生は大きく変わっていきました。箱の中で美味しいものを作る料理人とは異なる生き方を探し、2003年に『らく楽料理教室』を開きました。日本料理の文化をベースとした食育活動の一環としての料理教室です。人間は日々食べているもので出来ています。良質の食事こそが最大の予防医学であると信じて、毎日、家族の食事を作っているお母さん方に食育の大切さを伝えたくて始めたのです。教室ではプロの料理人と一般の主婦の方々との感覚の溝を感じながらも、私自身、学ぶことが沢山ありました。それがのちに、鹿児島TVでの生放送料理番組を担当させていただくことに繋がっていきました。
その後、生徒さんたちの後押しもあり、2005年に『おまかせ料理 樹楽』を天文館にオープン。メニュー無し、その日の旬の食材を使った、完全おまかせ懐石料理の店です。そこで、また思いがけない出逢いに恵まれます。あるお客様から「梛木さんの経験と技術と知識で、地域の食材を使って町興ししてみらんね」とお声かけいただいたのです。国から補助金を受託し、地域の食材を使った地域活性化事業の依頼です。
最初に手掛けさせていただいたのが日置市の事業でした。地元の農家の方々と半年近くかけて作り上げたのが、日置産の大豆と吹上浜の天然塩であっさり風味に仕上げた手作り鍋つゆです。それが予想を超える大ヒットとなりました。そこからさらに様々な依頼をいただくようになり、あくね産のみかんを使ったポン酢、おおさき産のさちいずみを100パーセント使ったそばなど、地域の食材や調味料を使った商品開発が、雇用にも繋がり、地方の活性化に貢献できることを多数経験させていただきました。
そんな中、ある漁師さんが相談に見えました。「俺ら漁師は、10釣れた魚を5捨てる。売れない魚を港に上げると箱代と氷代は漁師の手出しになって損になる。だから捨てるんだ。こんなバカみたいな仕事があっていいと思うか。可愛い息子には、とても継がせられない」とおっしゃるのです。地方の過疎化や後継者不足の大きな原因は、ここにあると感じました。そして、なんとか自分に出来ることをしたいとの一心で、その捨てられることになる魚を8倍の仕入れ値で買い取ることにしたのです。そのときは、自分の店もあり、料理教室もあったので可能だったのですが、個人でできることには限界があります。もっと何か付加価値を付けられないか、と悩んでいた時、千葉や和歌山では魚の『灰干し』が50年以上も前から商品化されているという情報を得ます。そしてすぐに、その製造現場に足を運んで、衝撃を受けました。なんとその灰干しには桜島の灰が使われていたのです。灯台下暗しもいいところです。
早速、鹿児島の宝である桜島の火山灰と、価値が無いとされてきた魚をリンクさせて、これぞ薩摩!の名物を作ろうと企画し、鹿児島県内の港町などに「町興しで薩摩の新名物の桜島灰干しをやりましょう!」と呼びかけました。ところが、なんと100人中100人が「お前は何を馬鹿なことを言ってるんだ!厄介物の灰で魚が美味しくなるもんか!」と言うのです。人は自分の知っていることは常識、聞いたことがないものは非常識、と思うようです。賛成してくれる人など誰もいないどころか、私の全てが非常識だと世間が言い出しました。家族や身内からも長く理解されず、あのときほど、深い孤独を感じたことはありません。でも、私には、誰もやっていないからこそチャンスがあるんだ!という根拠の無い自信がありました。そして、誰もやらないなら俺がやってみせようと思ったのです。泣く泣く、順調だった店を閉め、灰干し事業に打ち込む決断をしました。2011年のことです。
最初は全く売れず、借りた工場の家賃も払えずの悲惨な状況でしたが、「桜島灰干し弁当」を鹿児島中央駅の駅弁として売り出してから、状況が変わっていきました。灰干しした魚は臭みがなく、旨味が増して美味しいと評判となり、87カ月売上げ1位となりました。九州全体の駅弁グランプリでは準優勝を受賞。農林水産省主催の「フード・アクション・ニッポンアワード食文化賞」も受賞し、多くのメディアにも取り上げていただきました。桜島灰干しの認知度は上がり、その他の灰干し商品も売れ出して、7年間で売上げは5倍になりました。
実は一番苦しかったとき、「この灰干しの活動は、自分だけ儲かるのでは無く、一次産業を儲けさせることだから、いつか『ガイアの夜明け』や『情熱大陸』で取り上げてくれるはずだ」とみんなに言っていました。そのときは当然鼻で笑われていたのですが、2018年、とうとうそれが現実となりました。1年近い密着取材を経て、『ガイアの夜明け』にて桜島灰干し事業が特集されたのです。それからさらに、全国各地で講演、商品開発プロデュース、地域活性化のお仕事をさせていただくようになりました。本当にありがたいことです。
また現在、小・中学校、高校などで、保護者や子どもたちへの食育講演、食育授業などにも力を入れて全国を回っています。その延長上で「高校生レストランの総合プロデュース」なども担当させて頂いております。
曽於高校 高校生レストラン
これは、「1日だけのお客様を、どれだけ喜ばすことが出来るか」をテーマに、両親やおじいちゃんおばあちゃん、地域の方々などを学校に招待して自分たちで考えた料理でおもてなしをする、という素敵な1日レストランです。
ぜひ、こちらの動画をご覧になってみてください。
奄美高校レストラン × PSP薩摩黎明プロジェクト
子どもたちの真剣な様子と笑顔に、私自身が毎回、大きな感動をもらっています。
そして、私の講演活動は、「食育」から企業の「人材育成分野」にも広がってきています。
そのほか、薩摩黎明プロジェクトの一人として、フランスとのご縁も深くなっています。パリ、プロヴァンスのレストランや、マルセイユの日本大使館公邸や総領事公邸などで1日総料理長として日本料理を作らせていただくことが増え、また、フランス人に向けての日本の食文化の講演や日本料理のマナー教室なども開催しています。
日本料理の世界で基礎から一生懸命に修行したこと、自分が心からやりたいと思ったことが、一次産業の為に、人の為に、地域の為になって、みんなの喜びに繋がる。こんな幸せなことはありません。また、日本料理の奥深さを世界に伝えていくことにもますます注力し、日本の食文化で世界を変えていきたいと真剣に思っています。薩摩の先輩方、西郷先生などの明治維新を興した方々の様に、50年後100年後の日本の為に、今、自分のできることをやらなくては、とさらに精進して参ります。